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NLPと大好きなことをするということ

わたしにとってのゆたかさとは、

・わかちあうこと
・慈愛があること
・感謝があること

です。だから、つねに選択肢を3つ以上もっていることだったり、行動するたびに感謝したり、あたえたり、うけとったり、そんな一瞬一瞬が快楽とつながっています。

ブログに書いていることも、セミナーでやっていることもすべてこの3つが基本になっています。

あなたは、いまやっていることで「そんなことは他人にまかせてしまいまなさい」といわれて、「まぁまぁ、そんなこといわずに、やらせてくださいよ」という時間をどれだけすごしていますか。

「トイレ掃除なんて、業者にまかせてしまいなさい」といわれても「まぁまぁ、楽しみを奪わないでください」とか。「料理なんて全部外食でいいじゃない」といわれても、「まぁまぁ、たまには料理もさせてくださいよ」とか。「社長、ワークショップリーダーは他の人にまかせて、経営に専念してください」といわれても「まぁまぁ、ワークショップリーダーを取り上げないでくださいよ」とか。

「セックスなんて他人にまかせておきなさい」といわれても。。。「食事はロボットにまかせてください」とかいわれても。。。「夢の実現は他人にまかせてください」といわれても。

どれを体験したくて、どれをまかせたいかは、人それぞれです。そして、まかせろといわれてもまかせたくないことを体験しつづけられるかは、人生のゆたかさにおおきく影響すると思います。

ただし、恐怖からの選択ではなく、快からの選択であることがたいせつです。たとえば、がんこな料理人が人に包丁をとがれるのが不安だから、恐怖だからということで、自分で包丁をだるいと思いながら研いでいるのは、わたしはあまりゆたかだとは思えません。包丁を研いでいるとき、料理のことを考えたり、集中できたり、リラックスできたり、わくわくしたりするんだから、その楽しみを取り上げないでくれ、と思えるようなことがゆたかさだと思います。

ところで、問題になるのは、おおくのことを義務感からやらざるおえないと感じていることではないでしょうか。そうやって、やりたいことだけやりたいけど、そうもいかないでしょ、ということ。

それから、イヤなこともだれかがしなければいけないでしょ、ということもあるかもしれません。そういう信念があって、みずから率先してイヤなことをしている人もそれはそれでいいと思うのですが。検証する方法があります。

まず、あなたのイヤだと思っていることをリストにしてください。キーワードをどんどん書き出します。そして、氣もちをこめて、願ってください。「どうか、このわたしがイヤだと思っていることを大好きだという人が世界にいたら、会わせてください」と。もし、会うことがなければ、イヤなこともやる価値があると思います。もし1人でもいれば、世界にはそういう人がたくさんいるということかもしれません。あるいは、もしかしたら、あなたがイヤだと思っていることで、それを大好きでやりたいという人の機械を奪ってるかもしれませんよ。

そして、やりたいこと、大好きなことだけやりたいけど、無理でしょー、とあきらめている人。あきらめつづけるのも1つの方法ですが、べつの方法もあります。

いま、目の前のやらなければならないことを人にまかせたくないという【つもり】になって行動すること。そうすると、あら、ふしぎ。あなたのほんとうにやりたくてやりたくてどうしようもないことが引き寄せられてきます。

こう考えてみるのはどうでしょう。明日、法律が執行されます。どういうものかというと、大好きなしごとばかりやっている人は、べつのしごとをはじめなければいけない。いま現在、大好きなしごとをしていない人は、そのしごとにつく権利と義務があります。ということになったとしたら。しかも、前職の記録は抹消されます。

たとえば、あなたの前職が俳優だったことや、カウンセラーだったことや、教師だったことや、画家だったことなどは、だれも知りませんから、チャンスはあるていど閉ざされた状態で、ふたたび同じしごとをするチャンスは見込みうすです。

大好きなことを始めた人は、大好きなことをできているにもかかわらず、いつものようにグチがはじまります。実際には、それほどあまい世界ではなかったなどといいだしたとします。大好きでないしごとをさせられた人は、たとえば「まぁ、人生そういうこともあるか。」と思いつつ、それを楽しみ始めたとします。

結果、世界がどんなバランスになるかというと。わたしの想像では、結局のところ、好きでないことも、大好きなつもりでやった人が、ほんとに大好きなしごとにおさまり、ほんとは大好きなんだけど、ついついちょっとした不平に押し流されてしまう、ということになるではないかと思います。

ということは、いま、たとえば世界の10%の人が、目の前にあることを大好きな【つもり】で行動していけば、世界のようすはえらくちがってくるのではないかと思います。

2008年3月 4日 Kenji | | コメント(0) | トラックバック(0)

人生のゲームに乗っかれるかどうかがわかれめだ

人生を楽しくみたされたものにできるかどうかは、人生のゲームに乗っかれるかどうかにかかっています。人間がゲームを愛しているのは、人生そのものがゲームだからではないかと思っています。

鉄で鋳物をつくるなら2,000度とか3,000度とかで熱しないとつくれないし、ケーキを焼くのに2,000度の窯で焼いたら、燃えつきてなくなってしまいます。どんなものにも一定のルールがあります。

サッカーで手を使えば反則、つまりルール違反です。何回注意されても手を使いつづけたら、どうなるか。退場させられて、その人はサッカーを楽しめなくなります。

じゃぁ、人生とはどんなゲームか。それは、自分がなにものであるのかをあてるゲームです。自分はいったいだれなのかを追求していくアドベンチャーゲームみたいなものだと思います。

体験をくりかえしながら、これは好き、これは嫌い、これは氣もちいい、これは氣もちよくないとかのなかから、自分がどこのだれかをあてるゲームです。

Aさんはサッカーがきらいだけど、わたしは好き。Aさんはパンが好きだけど、わたしは米が好き。そんなこんなのちっちゃなことでも、自分がなにものかを知るてがかりとなっていきます。

パンが好きという人がいるから、米が好きなことが実感できます。黒という色があるから、白を識別することができます。

パンがどれほど美味しいかを米好きの人につたえるのは、とてもすてきなことですが。相手がパン好きになってほしいとしても、人生ゲームとはなんら関係がないので苦しかったり闘いが起こったり退屈だったりします。サッカーで手を使おうとしたり、ケーキを2,000度で焼こうとしているのと似ています。

ルールから外れると、人生ゲームでもサッカーなどとおなじように、イエローカードやレッドカードが出されます。それを人は苦しみと感じます。

人は、自然法則というルールのもとにゲームを楽しんでいます。感謝すると氣もちがいいとか、ありのままを慈しむと氣もちがいいとか、いまの現実はすべて自分が望んだものだとか、人を変えることはできないとか、存在することにすでに重大な価値があるとか、あたえたものが帰ってくるとか。

自然法則という人生ゲームのルールは、何百年もまえから、いろんな人がことばとして、行動としてつたえてくれています。

どれがただしいルールかわかってから、そのルールにしたがおうというのも、ありです。が、それでは、代償が大きすぎるとわたしは思います。どうしてかというと、サッカーの場合、手でさわってはいけないことがただしいかどうかなど関係ないからです。あくまでも、手でさわってはいけないというのは、正義ではなく、ルールなんです。

あたえたものが帰ってくる、こころから感謝すると氣もちがいい、というのは正義ではなく、自然法則というルールです。

ただしいから従うとか、いいことだから実行するということではないんです。ただ、サッカーをするなら、ルールにそったプレイをしたほうが充実するし、ケーキを焼くならルールにそった温度の範囲で焼くほうがおいしいということです。

だから、あたえたものが帰ってくるとか、感謝すると氣もちがいいとかが、ほんとうにただしいかどうかをしろうとするのは、ケーキを焼くまえに、180度が適温であることをただしいかどうか分析しようとしているのとおなじです。それより、とっとと180度で焼いてみたほうが断然はやいです。

そのつぎに考えられるのが、実際に180度で焼いたケーキの見本を見せてもらうことですね。実際に感謝してまいにちを楽しくくらしている人の話を聞いたり、あたえることでゆたかになっている人と出会ったり、本を読んだりすることです。

でも、この、うまくいった例を知るというのは、それがただしいかどうかを知るためだと思っていると、うまくいきません。この本を書いた人は、たまたまあたえることでゆたかになれたかもしれないけど、自分はちがう......など。ただしさを判断しようとして疑いだしたらきりがありません。そこからルールを知ろうとすることが、ゆたかな人生にとってたいせつです。

あるいは、妥当だと感じることを実際に実践してみることです。「なるほど、あたえるというコンセプト、感謝するというコンセプトは氣もちよさそうだ」と妥当性をすこしでも感じるなら、ただしさを判断する前に実践して体験してみればいいのです。それでうまくいかなければ、そのルールがまちがっているということだから、忘れてしまえばいいんです。

ケーキを180度で焼くということが本に書いてあって、それが、「なるほど、妥当性があって無理がなさそうだ」と思えるなら、議論する前に焼いてみるでしょう。いちいち、著者に問いただして、「なぜ、1800度ではなく180度なんだ」と議論したりしないでしょう。それとおなじです。

あなたにとってすべてのできごとは、自分がなにものであるかを知るてがかりです。どんなに悲しいことも、よろこばしいことも、怒れることも、楽しいことも。その体験から「わたしはなにものであることがわかるだろう? なにを大切にしていることに氣づかされただろう?」すべては、そのことのために起こっています。

「ライバルとは、あなたの最大の味方だ」といわれるのは、このためです。つまり、ライバルとは、その存在によって、自分のことをより深く知ることのできる存在だということです。

最後に、たいせつなことはゲームの目的をわすれないこと。目的とはつまり「自分がなにものであるかを探求し続けること」です。それさえわすれなければ、どんな体験もあなたにとってすばらしい光となるでしょう。

そして、自然法則のルールとは、あなたをがんじがらめにからめとるものではありません。あなたの創造性を最大限に楽しむためのものです。ルールのないサッカーはもはやサッカーではないし、楽しむこともできなくなるでしょう。サッカーのルールとはサッカーを楽しむために存在すべきです。自然法則のルールも、あなたの人生を最大限に楽しむために存在しています。

2008年3月 4日 Kenji | | コメント(0) | トラックバック(0)

NLPリフレーミングで最大の短所を味方に

とても非合理に思える衝動とか行動は、見方を変えると、あなたの最大の味方になります。このことをNLPでは、リフレーミングといいます。やめたくても、どーーーしてもやめられない。ということがもしあれば、それはあなたの最大の長所です。

それだけ、強烈な欲求があなたにあるということ。ただ、こころの深い部分と意識が一致していないだけです。こころの深い部分では、家族を大切にしたいという思いがあるのに、その家族を大切にしたい思いを達成する方法が働きつづけることとつながっていたり。

リラックスしたいという意図と風邪をひくということが連携していたり。そうすると、リラックスしたいと思うと風邪をひいてしまうということが起こります。

でも、リラックスしたいと思ったたびに、風邪をひいていたのでは、その人にとってあまり有益とはいえません。傷つかないように自分を守るという思いと、攻撃的になるという連携もあります。安心したいという思いと、食べるということが結びつくこともあります。

んですが、しかし、実際の生活では傷つかないために攻撃的になることが有益でないこともあります。安心したいからといって食べてばかりもいられません。でも、安心したいという欲求がつよいと、どうしても食べてしまうことをやめられないといったことが起こります。

やめたいのに、どうしてもやめられないことがあるということは、どうしても達成したい思いが隠されているということです。それだけ、あなたのつよい思いが、こころの奥にかくれているということです。だから、むりやりやめてしまうという対処はあまりにももったいないことだと思います。

それに、むりやりやめてしまうと、安心したいとか、リラックスしたいなどの思いが実現されなくなるので、こころが不安定になります。だれにも責められていないのに、攻撃的な氣もちになるのは、傷つきたくないという思いがつよいということが考えられますが。なにも、傷つかないために攻撃的にならなくても、傷つかないことは可能です。攻撃的になるということをべつのなにかに置き換えればいいんです。

安心したいからといって、安心するための行動を食べることだけにまかせる必要はないんです。だれかに「ありがとう」っていってみたり、自分をほめたり、運動したり、といったことでも安心を得ることができます。

ただし、食べることが悪ではないし、攻撃的なことが悪ではないし、風邪をひくことが悪ではありません。ただ、安心したいために食べつづけたり、リラックスするために風邪をひいたりしているのは、おもしろくない。と思うなら、安心したい、傷つかない、リラックスするための行動をべつのなにかに置き換えることができます。

いろいろと、ややこしいメカニズムはあるのですが、ここでは割愛するとして。やめたくてもやめられないことというのは、あなたの最大の味方になりうるということ。

そして、やめたくてもやめられないことをやってしまう意図を知ること。その意図をべつの行動で満たしてあげればいい。

「やめたいけど、どーしてもそれをしてしまうメリットはなにか?」
「そのメリットは、ほかのどんな行動で満たせるか?」

このこたえがわかれば、万事OK。

リラックスして、誠実な氣もちで、質問することだけがポイントです。

貧乏でいつづけるメリットは?
結婚しないメリットは?
恋人がいないメリットは?
不健康であるメリットは?
怪我をするメリットは?
夢がかなわないメリットは?
怒られてばかりいるメリットは?
泣いてばかりいるメリットは?
食べてばかりいるメリットは?
嫌われるメリットは?
うまくいかないメリットは?
メリットが思いつかないメリットは?
なに1つ思い通りいかないと感じるメリットは?
やりとげられないメリットは?
不自由を感じるメリットは?
緊張するメリットは?
イライラするメリットは?
哀しむメリットは?
不幸ばかりを感じるメリットは?

夜寝るまえに、質問を書いておくというのもいいですね。

2008年2月21日 Kenji | | コメント(0) | トラックバック(0)

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