ホーム > 自分らしさ発見: 2008年3月

自分らしさ発見のNLP的空想

もし、あなたがいま、なぜそこにいるのか、なぜ目の前のことをしているのか、なぜその職業なのかがわからなくなったとしたら、どうしますか? なにをしますか?

身につけたスキルや能力、技能などはいまのままです。所持品もかわっていません。昨日までなにをやっていたのか、明日からなにをしようとしていたのかは、覚えていません。世界中の人がいまからいっせいに、そうなるとしたら、あなたは、いったいなにを考えてなにをしようとするでしょうか。好みや感性や趣味嗜好などの個性に関することは、変化しないとします。

ほかの人も過去、未来の記憶がありませんので、自分がなにものだったかを人に聞いても判明しません。もし、家族といっしょにすごしているときにこれが起こったら、おそらく、家族であることくらいは推測できるかもしれません。

もし、勤め先で起こったら、ここが自分の職場だということくらいは推測できるかもしれません。自分の名刺を観れば、自分がどんな職業だったのかを推測できるかもしれません。でも、あくまでも推測の範囲です。だれもなにも保証してくれません。

もし、自分が社長だと推測したとして。経営をつづけようとするかどうか。あるいは、つづける意志があっても、過去未来の記憶のないメンバーを再結成できるかどうか。記憶がなくてもあなたのもとで働きたいとなるのかどうか。

記憶がなくても、あなたたちは家族でいようとするかどうか。記憶がなくてもデート中の相手をたいせつにしようと思うかどうか。

瞬時にあなたはなにを考え、どんな行動を起こしますか。

そして、長期的にあなたはどこへむかいますか。

2008年3月28日 Kenji | | コメント(0) | トラックバック(0)

NLPとニュートラルゾーンと感謝と愛

ものごとのいろんな面(両極)を受け入れると、こころが安定します。そして、感謝と愛のちからに目覚めることができます。おそらく、感謝と愛の目覚めなくしくて、しあわせであることは無理だとわたしは思っています。

自分にとって都合のいい面ばかりを観ていても、都合のわるい面ばかりを観ていても、こころの浮き沈みを感じます。都合のいい面ばかりのように観える、都合のわるい面ばかりのように観えるというのは、どちらも幻想です。

たとえば、お金のいい面ばかりに目を奪われていると、じっさいに大金を手にしたとき、不安になったり、たいせつなものを失ったりということになりま す。お金の都合のいい面しか観ていない人が宝くじを当てて大金を手にすると90%以上の人が不幸になるといわれているのも、そのためです。恋人のいい面ば かりに目を奪われていると、やがて、そうでない面にも氣づきはじめて幻想だったことに落ち込みます。

いい面、わるい面というのは、都合のいい面、わるい面という意味です。ですから、自分にとって都合のいい面ばかりを観ている、あるいは自分にとって都合のわるい面ばかり観ているというのは、幻想であって、真実とはいえません。

そして、都合のいい面、わるい面のどちらか一方だけを観ているとき、人のこころには感謝と愛は発揮されません。

たくさんのお金が入ってくることの都合のいい面ばかりを観ているとき、人のこころは有頂天にうつろいやすくなります。うつろいやすい不安定な状態では、人の感謝や愛は振動しないようになっています。

あこがれの異性があらわれて好きになり、夢中になりつつある・・・という状態を想像してもらうとわかると思います。よくもわるくも、彼、彼女に夢中になっているとき、人は幻想をいだいています。幻想を抱いて夢中になるというのも恋の1つの楽しみですが、それはさておき。

夢中で幻想をいだいているとき、人は感謝と愛をかがやかせることはできません。いいもわるいも、酸いも甘いもかみ分けて、ニュートラルゾーンで、人の感謝と愛は発動します。

いい・わるい、好き嫌い、得意・不得意、プラス・マイナス、ポジティブ・ネガティブ・・・いろんなものごとの両面を受けとれたときに、感謝と愛が芽吹きます。そうして、「あぁ、しあわせだなぁ・・・」となります。しあわせ研究家のわたしとしては、感謝と愛を発揮せずにしあわせであれる人をまだ出会ったことがありません。いまのところ。

これもおもしろいのですが、「感謝と愛があれば、ほかはなにも必要ありませんよ」とさらりという人もいます。・・・が、その人がしあわせであるかどうかは、わたしが観ているかぎり、微妙です。単純に愛さえあれば・・・というのは、それはそれで極端な氣がします。

さてさて、批判をニュートラルに受けとって、感謝のちからに変換すること。これは、現代をゆたかで自由に生きるためにたいせつなことのように思います。

そして、批判というのは、とくに反応的になりやすい、つまりニュートラルに受けとりにくいことの1つではないかと思います。批判の反対というと、ほ めるとかですかね。ほめらても、それほどネガティブに反応しないという人が多いと思います。なかには、ほめられるのが苦手でいやな氣ぶんになるということ もあるでしょうが。ぎゃくにそういう人は、けなされても平気だったりします。

どうしてだと思いますか? ふしぎだと思いません? どちらもだれかしらの評価であることにちがいはありません。ほめられても、けなされても、強烈に反応的になる必要はありません。ニュートラルにもどって、受けとったとき、感謝が生まれます。

では、ほめられたりけなされたりしたときに、ニュートラルにもどるにはどうすればいいか。ほめられて上機嫌になるという反応が自分にあったとしたら、「それほどの人間じゃない」と思うようにします。けなされて落ち込んだら、「わたしはとっても価値のある人間だ」と思うようにします。

そのうちに、ほめられても、けなされても、上機嫌になったり落ち込んだりという反応がなくなってきます。そして、ただただ感謝がわいてきて「ありがとう」といいたくなります。

どうしてかというと、それが真実だからです。あなたをけなしたり批難したりする人は、あなたのことを恐れているんです。あなたのうつわの大きさにおびえているんです。

おそらく、人生のマスターといわれるような大器の人は、道ばたにある石を観ても、うつくしさを見いだして、感謝の氣もちがわいてきます。だから、その人生のマスターがあなたのなかのうつくしさを見いだすのは、たやすいことです。

だから、あなたのうつくしさを見いだして認められて、率直に表現できる人、つまりあなたを率直にほめられる人は、あなたとおなじくらいうつわが大きい、もしくはそれ以上にうつわの大きい人だということです。

だから、「わたしのいいところ、うつくしいところを認めてくださるあなたから、わたしはまだまだたくさんのことを学ばなければなりません。」という氣もちは謙遜でもなんでもなく、すなおな受けとり方といえます。

ぎゃくに、あなたをけなす人がいたとしたら、その人は「あなたのうつわの大きさ、存在の価値」を証明してくれています。けなしたり、批難したりとい うことは、あなたの価値を認めていますよ、というあなたへの讃辞です。バスケットボールの試合なんかで、相手チームが強いほど、ブーイングにもちからが入 るものです。ブーイングは価値を認められている証です。弱いチームに対しては、ブーイングの意欲も小さくなります。

だから、けなされたり、非難されたときにあなたが「わたしもなかなか成長したなぁ。よしよし。」と受けとることは、すなおな解釈です。

ニュートラルにもどれたかどうかを確認する方法はかんたんです。非難されたりほめられたりする、という人とのかかわりのなかで、感謝が自然にわいてきたかどうかでわかります。くりかえしますが、ほめられて有頂天になっているときも、けなされて落ち込んでいるときも、どちらの場合もあなたは感謝に氣づくことはできません。

ニュートラルゾーンで無感動にすごす方法というわけではなく。ニュートラルにもどるとき、人はとっても感謝と愛を感じる生命です。そうすると、とっても毎日が楽しく、しあわせで〜す、という提案の1つです、くらいの感じで。みなさんのしあわせをこころから祈ってます。

2008年3月 9日 Kenji | | コメント(0) | トラックバック(0)

NLPと大好きなことをするということ

わたしにとってのゆたかさとは、

・わかちあうこと
・慈愛があること
・感謝があること

です。だから、つねに選択肢を3つ以上もっていることだったり、行動するたびに感謝したり、あたえたり、うけとったり、そんな一瞬一瞬が快楽とつながっています。

ブログに書いていることも、セミナーでやっていることもすべてこの3つが基本になっています。

あなたは、いまやっていることで「そんなことは他人にまかせてしまいまなさい」といわれて、「まぁまぁ、そんなこといわずに、やらせてくださいよ」という時間をどれだけすごしていますか。

「トイレ掃除なんて、業者にまかせてしまいなさい」といわれても「まぁまぁ、楽しみを奪わないでください」とか。「料理なんて全部外食でいいじゃない」といわれても、「まぁまぁ、たまには料理もさせてくださいよ」とか。「社長、ワークショップリーダーは他の人にまかせて、経営に専念してください」といわれても「まぁまぁ、ワークショップリーダーを取り上げないでくださいよ」とか。

「セックスなんて他人にまかせておきなさい」といわれても。。。「食事はロボットにまかせてください」とかいわれても。。。「夢の実現は他人にまかせてください」といわれても。

どれを体験したくて、どれをまかせたいかは、人それぞれです。そして、まかせろといわれてもまかせたくないことを体験しつづけられるかは、人生のゆたかさにおおきく影響すると思います。

ただし、恐怖からの選択ではなく、快からの選択であることがたいせつです。たとえば、がんこな料理人が人に包丁をとがれるのが不安だから、恐怖だからということで、自分で包丁をだるいと思いながら研いでいるのは、わたしはあまりゆたかだとは思えません。包丁を研いでいるとき、料理のことを考えたり、集中できたり、リラックスできたり、わくわくしたりするんだから、その楽しみを取り上げないでくれ、と思えるようなことがゆたかさだと思います。

ところで、問題になるのは、おおくのことを義務感からやらざるおえないと感じていることではないでしょうか。そうやって、やりたいことだけやりたいけど、そうもいかないでしょ、ということ。

それから、イヤなこともだれかがしなければいけないでしょ、ということもあるかもしれません。そういう信念があって、みずから率先してイヤなことをしている人もそれはそれでいいと思うのですが。検証する方法があります。

まず、あなたのイヤだと思っていることをリストにしてください。キーワードをどんどん書き出します。そして、氣もちをこめて、願ってください。「どうか、このわたしがイヤだと思っていることを大好きだという人が世界にいたら、会わせてください」と。もし、会うことがなければ、イヤなこともやる価値があると思います。もし1人でもいれば、世界にはそういう人がたくさんいるということかもしれません。あるいは、もしかしたら、あなたがイヤだと思っていることで、それを大好きでやりたいという人の機械を奪ってるかもしれませんよ。

そして、やりたいこと、大好きなことだけやりたいけど、無理でしょー、とあきらめている人。あきらめつづけるのも1つの方法ですが、べつの方法もあります。

いま、目の前のやらなければならないことを人にまかせたくないという【つもり】になって行動すること。そうすると、あら、ふしぎ。あなたのほんとうにやりたくてやりたくてどうしようもないことが引き寄せられてきます。

こう考えてみるのはどうでしょう。明日、法律が執行されます。どういうものかというと、大好きなしごとばかりやっている人は、べつのしごとをはじめなければいけない。いま現在、大好きなしごとをしていない人は、そのしごとにつく権利と義務があります。ということになったとしたら。しかも、前職の記録は抹消されます。

たとえば、あなたの前職が俳優だったことや、カウンセラーだったことや、教師だったことや、画家だったことなどは、だれも知りませんから、チャンスはあるていど閉ざされた状態で、ふたたび同じしごとをするチャンスは見込みうすです。

大好きなことを始めた人は、大好きなことをできているにもかかわらず、いつものようにグチがはじまります。実際には、それほどあまい世界ではなかったなどといいだしたとします。大好きでないしごとをさせられた人は、たとえば「まぁ、人生そういうこともあるか。」と思いつつ、それを楽しみ始めたとします。

結果、世界がどんなバランスになるかというと。わたしの想像では、結局のところ、好きでないことも、大好きなつもりでやった人が、ほんとに大好きなしごとにおさまり、ほんとは大好きなんだけど、ついついちょっとした不平に押し流されてしまう、ということになるではないかと思います。

ということは、いま、たとえば世界の10%の人が、目の前にあることを大好きな【つもり】で行動していけば、世界のようすはえらくちがってくるのではないかと思います。

2008年3月 4日 Kenji | | コメント(0) | トラックバック(0)

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