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NLPとニュートラルゾーンと感謝と愛

ものごとのいろんな面(両極)を受け入れると、こころが安定します。そして、感謝と愛のちからに目覚めることができます。おそらく、感謝と愛の目覚めなくしくて、しあわせであることは無理だとわたしは思っています。

自分にとって都合のいい面ばかりを観ていても、都合のわるい面ばかりを観ていても、こころの浮き沈みを感じます。都合のいい面ばかりのように観える、都合のわるい面ばかりのように観えるというのは、どちらも幻想です。

たとえば、お金のいい面ばかりに目を奪われていると、じっさいに大金を手にしたとき、不安になったり、たいせつなものを失ったりということになりま す。お金の都合のいい面しか観ていない人が宝くじを当てて大金を手にすると90%以上の人が不幸になるといわれているのも、そのためです。恋人のいい面ば かりに目を奪われていると、やがて、そうでない面にも氣づきはじめて幻想だったことに落ち込みます。

いい面、わるい面というのは、都合のいい面、わるい面という意味です。ですから、自分にとって都合のいい面ばかりを観ている、あるいは自分にとって都合のわるい面ばかり観ているというのは、幻想であって、真実とはいえません。

そして、都合のいい面、わるい面のどちらか一方だけを観ているとき、人のこころには感謝と愛は発揮されません。

たくさんのお金が入ってくることの都合のいい面ばかりを観ているとき、人のこころは有頂天にうつろいやすくなります。うつろいやすい不安定な状態では、人の感謝や愛は振動しないようになっています。

あこがれの異性があらわれて好きになり、夢中になりつつある・・・という状態を想像してもらうとわかると思います。よくもわるくも、彼、彼女に夢中になっているとき、人は幻想をいだいています。幻想を抱いて夢中になるというのも恋の1つの楽しみですが、それはさておき。

夢中で幻想をいだいているとき、人は感謝と愛をかがやかせることはできません。いいもわるいも、酸いも甘いもかみ分けて、ニュートラルゾーンで、人の感謝と愛は発動します。

いい・わるい、好き嫌い、得意・不得意、プラス・マイナス、ポジティブ・ネガティブ・・・いろんなものごとの両面を受けとれたときに、感謝と愛が芽吹きます。そうして、「あぁ、しあわせだなぁ・・・」となります。しあわせ研究家のわたしとしては、感謝と愛を発揮せずにしあわせであれる人をまだ出会ったことがありません。いまのところ。

これもおもしろいのですが、「感謝と愛があれば、ほかはなにも必要ありませんよ」とさらりという人もいます。・・・が、その人がしあわせであるかどうかは、わたしが観ているかぎり、微妙です。単純に愛さえあれば・・・というのは、それはそれで極端な氣がします。

さてさて、批判をニュートラルに受けとって、感謝のちからに変換すること。これは、現代をゆたかで自由に生きるためにたいせつなことのように思います。

そして、批判というのは、とくに反応的になりやすい、つまりニュートラルに受けとりにくいことの1つではないかと思います。批判の反対というと、ほ めるとかですかね。ほめらても、それほどネガティブに反応しないという人が多いと思います。なかには、ほめられるのが苦手でいやな氣ぶんになるということ もあるでしょうが。ぎゃくにそういう人は、けなされても平気だったりします。

どうしてだと思いますか? ふしぎだと思いません? どちらもだれかしらの評価であることにちがいはありません。ほめられても、けなされても、強烈に反応的になる必要はありません。ニュートラルにもどって、受けとったとき、感謝が生まれます。

では、ほめられたりけなされたりしたときに、ニュートラルにもどるにはどうすればいいか。ほめられて上機嫌になるという反応が自分にあったとしたら、「それほどの人間じゃない」と思うようにします。けなされて落ち込んだら、「わたしはとっても価値のある人間だ」と思うようにします。

そのうちに、ほめられても、けなされても、上機嫌になったり落ち込んだりという反応がなくなってきます。そして、ただただ感謝がわいてきて「ありがとう」といいたくなります。

どうしてかというと、それが真実だからです。あなたをけなしたり批難したりする人は、あなたのことを恐れているんです。あなたのうつわの大きさにおびえているんです。

おそらく、人生のマスターといわれるような大器の人は、道ばたにある石を観ても、うつくしさを見いだして、感謝の氣もちがわいてきます。だから、その人生のマスターがあなたのなかのうつくしさを見いだすのは、たやすいことです。

だから、あなたのうつくしさを見いだして認められて、率直に表現できる人、つまりあなたを率直にほめられる人は、あなたとおなじくらいうつわが大きい、もしくはそれ以上にうつわの大きい人だということです。

だから、「わたしのいいところ、うつくしいところを認めてくださるあなたから、わたしはまだまだたくさんのことを学ばなければなりません。」という氣もちは謙遜でもなんでもなく、すなおな受けとり方といえます。

ぎゃくに、あなたをけなす人がいたとしたら、その人は「あなたのうつわの大きさ、存在の価値」を証明してくれています。けなしたり、批難したりとい うことは、あなたの価値を認めていますよ、というあなたへの讃辞です。バスケットボールの試合なんかで、相手チームが強いほど、ブーイングにもちからが入 るものです。ブーイングは価値を認められている証です。弱いチームに対しては、ブーイングの意欲も小さくなります。

だから、けなされたり、非難されたときにあなたが「わたしもなかなか成長したなぁ。よしよし。」と受けとることは、すなおな解釈です。

ニュートラルにもどれたかどうかを確認する方法はかんたんです。非難されたりほめられたりする、という人とのかかわりのなかで、感謝が自然にわいてきたかどうかでわかります。くりかえしますが、ほめられて有頂天になっているときも、けなされて落ち込んでいるときも、どちらの場合もあなたは感謝に氣づくことはできません。

ニュートラルゾーンで無感動にすごす方法というわけではなく。ニュートラルにもどるとき、人はとっても感謝と愛を感じる生命です。そうすると、とっても毎日が楽しく、しあわせで〜す、という提案の1つです、くらいの感じで。みなさんのしあわせをこころから祈ってます。

2008年3月 9日 Kenji | | コメント(0) | トラックバック(0)






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