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感情コントロールとしあわせについて

この記事は、人生を喜びにあふれさせたい人、必見です。 この記事を読む前と、読んだあとでは、人生が180度変わります。 というより、人生の次元を変化させるだけの エネルギーを得ることになります。

 感情のモデルをここまで簡潔にあらわしたものを わたしは、ほかに知りません。 感情をコントロールできる、とよくいわれますが。 この記事を読んだあとは、あなたは、感情を選択・創造することができます。

 2007年もあと数日・・・といういまになって、 やっとエナジー全開でこの記事を書きます。 あなたの人生を喜びでいっぱいにするか、 怒りでいっぱいにするか、あなたは完全に選択・創造できます。 すくなくとも、あなたはその可能性と権利をすでにもっています。

 お金があってもなくても、結婚してもしなくても、 働いても働かなくても、あなたの人生を喜びで満たすことが可能です。 だいたい、前置きが長いところからして、この記事はあやしいです。 信用しないでください。 あやしいものがかならずしも真実とはかぎりませんが、 真実はときにあやしいことを知るのはいいことです。

という、いい方は、NLPでいうところの ミルトンモデル。 なにをもってあやしいのか、なにをもって真実なのか、 だれにとって、なんの目的で「いいこと」と判断するのか、まったくもって。。。 この混乱と、完ぺきな二元性のなかにこそ あなたは、宇宙の法則を見いだします。 量子力学では、物質を観察すると、その99%は非物質的な空洞 だということが知られてます。 原理原則は、なんにでもつうようするものです。

 ことばの99%は、非ことば的な情報で満たされています。 ことばを理解したというとき、それは、全体の1%がわかったということです。 ことばを受けとったというとき、はじめて100%吸収できます。 よろこびに満たされた人生に興味がある人は、 その微妙な99%に集中してください。

 感情は、あなたの意志によって選択、創造、コントロールできる。 このことをまず、受けとって吸収してください。 そして、腑に落ちるかどうか、自分の内面に集中してください。 理解できるというレベルでは不十分です。

ましてや、とりあえずという状況はあり得ません。 映画『マトリクス』でいうところの、 モーフィアスから、あやしいクスリを飲むかどうか迫られている状況です。 「本当のストーリーを知る覚悟があるのか?」と迫られてます。

 ただし、それが本当のストーリーかどうか判断するのはあなただ。 でも、クスリを飲めば、もう、あともどりはできない。 クスリを飲む前に本当のストーリーを知覚することは不可能だ。 いまの世界に一抹のウソを確信するなら、飲んでみる価値はある。 もちろん、飲まなければ、いままでどおりの人生をつづけられる。

 感情は、あなたの意志によって選択、創造、コントロールできる。 これが、腑に落ちるまで、先を読まないでください。 原因とは結果です。 結果とは原因です。 結果とは原因の別形態でしかありません。 結局、ある結果を得るのは、ある原因に定められています。

 切っても切り離せません。 あやしさ満開になってきたところで、 あなたの決断をどーぞ。 クスリを飲むというあなたは、 十分な遊びごころを発揮して、水を1杯飲んでください。

siawase.jpg これが、人の生命の原理原則です。 図を左から観ます。 人は、意識的に知覚するかどうかはべつとして、 つねに至福の状態にあります。 どうして至福の状態にあるのかは、あとで説明しますので、 いまは、氣にしないでください。 そして、慈愛という欲求があります。 生命は、つねに、なにかを慈しんだり愛しています。 至福と慈愛には、人の選択権がありません。 もともと、生命にそなわっているもので、生命の本質で、不可避です。 どれだけつよく願ったとしても、 至福と慈愛から、生命は逃れることができません。 至福にある以上、 なにかを愛し、慈しむことしかできません。 生命が意志をもって選択できるのは、この図でいうと、つぎの 「感謝」と「不安」からです。 感謝を選択すると、感情のナビゲーションは、 喜び、楽しみを発します。 不安を選択すると、感情のナビゲーションは、 哀しみ、怒りを発します。 だから、あなたは、感謝にあるのか、不安にあるのかの 状態を選択すれば、感情を選択・創造することができます。 あなたが感情を選択・創造できる本質は、 これですべてです。

まずは、「感情はナビゲーション」ということから 説明してきましょう。 感情は完ぺきなナビゲーションシステムです。 あなたが、不安道を走っているか、感謝道をはしっているのかを知らせてくれます。 不安からものごとに接しているか、感謝からものごとに接しているかを 知らせてくれるナビゲーションシステムです。 そして、喜びに満たされるには、右に曲がればいいのか、 左に曲がればいいのか、道なりでいいのかを 感情というナビゲーションシステムは案内してくれています。 喜怒哀楽の4つの感情について説明しましょう。 怒りを感じたとき、 それは、創造性の欠如の案内です。 「自分を創造しようとしていません!  あなたは、あなた自身を創造することができます。  あなたが何者であるのかは、あなたが決めて創造できます」 というシグナルです。 なにかが思い通りにいっていないというときに、 人は怒ります。 思い通りにいっていたとしたら、 べつに、どんな結果を受けとっても怒りません。 どうして思い通りにいってないように思うかというと、 自分の人生の創造性の一部を放棄してるからです。 自分の人生は完全に自分で創造できると信じきれていない、 あるいはそれを実現できていないから怒りがわいてきます。 自分の人生を自分で創造していると知っていれば、 だれに怒っていいのかわからないですし、そもそも怒りがわきません。 哀しみは、 完全性の欠如の案内です。 「生命とは、永遠で、ことほどさように、  完全であるということをわすれてますよ。  あなたは、完全で永遠の存在ですよ。」 というシグナルです。 たとえば、たいせつな人が亡くなって哀しい。 生命とはサイクルで、死とは終わりであり始まりの瞬間です。 そのことを覚えているなら、哀しむことができません。 実際に、人が亡くなると、祝会がひらかれる地域もあります。 哀しみ、怒り、喜び、楽しみに善悪はありません。 哀しんじゃいけない、怒っちゃいけないというのはありません。 哀しいときは哀しみ、怒ってるときは怒るというのがすなおな反応です。 ただ、哀しみ、怒りを選択しているのは、本人で、 それは同時に、喜びへのナビゲーションでもあるというだけです。 これについては、すこしずつ、解き明かしていきましょう。 さて、こんどは、感謝を選択した場合です。 おおきくわけて、感情のナビゲーションシステムは、 楽しみ、喜びを案内することになります。 楽しみは、 わかちあいの可能性を拡大させるシグナルです。 楽しいという氣ぶんをすなおに味わえば、 つぎにしたくなるのは、わかちあいです。 楽しいという感情は、 「あなたが楽しむだけじゃなくて、  それをだれかにあたえることができますよ」 というシグナルになり得ます。 子どもが楽しいことを発見すると、 だれかに見せようとします。 もっているおもちゃが楽しければ楽しいほど、 それをまわりに知らせようとするのが無邪氣な楽しみの反応です。 楽しいという感情が、 わかちあいをナビゲートしてくれます。 喜びは、サイクルの始まりと終わりの瞬間を 案内してくれます。 生命は永遠につづくもので、完了というのはありませんが、 なにかのプロセスには、ときに完了があります。 感謝をもって、プロセスのなかでなにか1つ完了しました というシグナルです。 プロセスの完了とは、よくたとえられるのがセックス。 セックスにエクスタシーを感じられるというのは、 セックスしてない状態を体験するから感じられるということ。 人生のサイクルのなかで、 セックスが完了するということがあります。 それは、人生の完了ではなく、 人生の一部としてセックスのプロセスが完了したということです。 だから、人生の一部だけに意識をむけていると、 喜びの直後、落ち込むということが起こりえます。 セックスはあんなに氣もちよかったのに、 それを終えてしまったら、いまより氣もちよくなくなるという意識になり得ます。 100cm四方の絵画の10cm四方だけを観て、 この絵はいいとかわるいとか判断しようとするのとおなじです。 落ち込みたくないのだとしたら、喜びを感じているときこそ、 生命の偉大さ、広大さに目を向けることです。 ここまでで、喜怒哀楽の感情がどういうシグナルかを説明しました。 感情を抑えることは、ゆたかな人生に役立ちません。 ここで、本物の感情とつくられた感情について、 ごく簡単にだけ説明します。 本物の感情とは、感情は自分の選択であるとしっている状態のことです。 つくられた感情とは、感情が外部からもたらされたと思っている状態のことです。 だれかのせいで、なにかのせいで、自分がこんなに怒っている と思っている状態のとき、人はつくられた感情を表現します。 上司がわたしの氣もちをわかってくれないから、怒っているというとき。 見事に感情の真実は隠されます。 そうなると、人は、とかくどうするかというと。 ゲーム、ドラマ、コントロール、征服をこころみます。 上司に自分の氣もちをわからせよう、あるいは、 上司を交代させよう、あるいは、 ドラマの舞台である職場を変えよう、といったことをこころみようとします。 怒りというナビゲーションで、「次の信号を右です」といわれているのに、 右に曲がるのは自分ではなく、道のほうだといっているようなものです。 このことに、善悪はありません。 全部、選択の問題です。 ただ、道を左に曲げるよりは、自分が右に曲がるほうが 手間がかかりません。 そして、哀しみや怒りを感じたからといって、 自分を責める必要はありません。 ナビゲーションシステムは、つねに完ぺきです。 車のナビのように、磁場のひずんでるところに行くと、 誤作動するということもありません。 怒ってしまう、哀しんでしまうことを責めるのは、 ナビを買い換えようとしているのと同じです。 ナビを買い換えても、結局、機能はおなじです。 まとめると2つです。 ・感情は、自分以外をコントロールするためのものではない。 ・感情が氣にいらなければ、感情を責めずに道を変えればいい。 さて、本物感情、つくられた感情の説明はこれくらいにして、 本題に、また、もどりましょう。 図でいう「ナビゲーション」について説明したので、 つぎは、左端の「至福」「慈愛」について。 人は、つねに、至福の状態にあります。 意識していようといまいと、つねに至福の状態です。 至福に氣づくことができれば、すべてが美しく感じられますが、 氣づいていなければ、美しかったりそうでなかったりになります。 それは、至福だったり至福でなかったりという 状態の変化ではありません。 つねに状態は至福なんですが、 それにアクセスするかしないかという現象の問題です。 箱の中には、つねにダイヤモンドが入っています。 箱を開けても開けなくてもダイヤモンドは入っています。 開けているときはダイヤモンドが見えるし、 閉じているときは見えないというだけのことです。 どうして、つねに至福なのかというと。 リソースはすべて備わっているからです。 あなたには、すべてがそなわっているということです。 あなたに備わっていないものは何1つありません。 文字通りすべてを備えています。 「そんなこといっても、いまから美人になることは不可能だし、  水のなかで息するのも不可能です。  やっぱり限界はあります。」 というのは、半分正解で半分誤解です。 限界があるというのは、正解です。 でも、限界をつくりだしているのは、本人です。 だから、本人が純粋に望めば、なりたい容姿になることができるし、 水の中で息することもできます。 実際に限界があるのは、そのほうが都合がいいからです。 これを読んでいる人の中で、 どれくらい瞬間移動できる人がいるかわかりませんが。 やったことがない人は、やってみてください。 実際に、リアルに、瞬間移動をやろうとしてみください。 もしかしたら、まかりまちがって、できてしまうかもしれません。 そう考えたとき、恐怖がわいてくるはずです。 新幹線に乗って、東京から京都へいくほうが安心なはずです。 みんな、それぞれに、楽しむために適切な制限を設定した世界を生きています。 限界が本当はないというのを信じるか信じないかはあなたしだいですが。 すくなくとも、限界があると証明したなにかに出会ったことはありません。 人は、空を飛ばないのではなく、飛べないのだ と示したものを観たことがありません。 限界があるかどうかわからないのとおなじくらいには、 限界がないということを否定できません。 さて、すべてが備わっているんですから、 生命の存在そのものが至福であることはしかたのないことです。 すべてが備わっていると、慈しみたい、愛したい となるのは、自然なことです。 だから、人は、慈愛の欲求を止めることができません。 図の下半分を観てみましょう。 siawase.jpg 至福は車、慈愛は燃料、「感謝と不安」は道(プロセス)、 感情はナビゲーションにたとえられます。 至福という車にあなたは、乗っています。 車(至福という存在)は、慈愛を燃料にして走ります。 しかも、燃料は、車自体が自然に生み出しています。 ガソリンを入れにいく必要のない、 フリーエネルギーの車です。 あなたは、感謝道か不安道かどちらを通るかを 意志によって選択できます。 不安道を走っているときは、哀しみ、怒り の案内をナビゲートされます。 このとき、ナビゲーションを活用して、感謝道に変更することもできますし、 ナビゲーションを無視して、不安道を走りつづけることももちろん可能です。 感謝道を走っているとき、喜び、楽しみ の案内をナビゲートされます。 このとき、そのまま感謝道を走りつづけることもできますし、 不安道に変更することも可能です。 どの方向に感謝道が存在するかは、 怒哀という感情によって案内されます。 怒りは、「自分がなにものであるのかを、自分で創造」すればいいシグナルで、 哀しみは、「ホントは完全なんですよ」というのを知ればいいというシグナルです。 ナビゲーションである感情を責めたところで、 現状に変化は起こりません。 哀しいんだからしかたない、ということだけで終わらせても、 現状に変化はありません。 それは、「次の信号を右です」といわれているのを知っていながら、 直進することとおなじだからです。 わるいわけではありません。 ただ、そこに洞察があるだけです。 いままでのいろんな書籍やセミナーでは、「感謝」「不安」あるいは感情が モチベーションであると誤解されやすかったのではないかと思います。 「感謝」「不安」はモチベーション(燃料)ではありません。 ただ、そこにある道(プロセス)です。 しかも、モチベーションでないどころか、 感情というナビゲーションでもありません。 だから、「感謝」「不安」はあなたのなかから自然に わきおこってくるものではないということです。 完全に、あなたの選択にまかされているものです。 感謝の道を走るか、不安の道を走るかだけです。 不安を克服する方法はありません。 あなたが、その道をとおらなければいいことです。 ただ、引き寄せの法則で、不安道をとおる人は、 不安な環境をつくりだしているのも事実です。 だから、不安が当然と思ってもさほど驚くことではありません。 でも、どんなときも同じです。 もし、感謝道に行きたければ、哀しみと怒りに 敏感になってナビゲーションにしたがうことです。 喜び、楽しみばかりを感じて生きている人も、 哀しみ、怒りばかりをかかえている人も、存在価値にちがいはありません。 だから、怒ってばかりの人生を 責める必要はいっさいありません。 くりかえしますが、怒りや哀しみを感じたくなければ、感謝道を走りましょう。 どこまでいっても、選択の問題です。 怒りをモチベーションに見立てることがあります。 すっごく怒って、「見返してやる〜」ということを仮想で見立てるということ。 なにをやっているかというと、 不安道を制限速度以上で走っているということ。 よくもわるくも、高速で走るぶん、結果があらわれるのは短時間です。 ことの善悪はありません。 怒りをモチベーションに見立てると、 不安は増幅されます。 お金がたまればたまるほど 不安になったりするのは、この現象です。 どんなに、不条理に思えたとしても、人の行動は すべて慈愛に根ざしています。 どんなに「失敗したな〜」「わるいことをしたな〜」と思うことでも、 もとをただせば、慈愛による行動であることがわかります。 こんな寓話があります。 むかし、むかし、永遠のむかし。 すべての叡智をそなえた、インというたましいがありました。 インはいいました。 「神様、わたしは、『ゆるし』というのを体験してみたい!」 神様はこたえました。 「インよ。それは、いまのたましいのままでは不可能だ。しかし、がっかりすることはない。もしおまえが、人として生まれるのなら、それを体験する機会があたえられる。」 「本当ですか?」 「本当だとも。ただし、もう1つ条件がある。おまえにはゆるす相手が必要だ。おまえがいくら『ゆるす!』といったところで、『ゆるされることをする相手』がいないと体験できないよ。」 インは困って、叫んだ。 「わたしは、『ゆるし』を体験してみたい。」 1つのヨウというたましいがあらわれた。 「それでは、わたしがあなたとともに人として生まれて、あなたに暴力をふるってあげよう。」 「えっ!? 本当ですか? とってもありがたい申し出だけど、本当にそんなことをしてくれるんですか?」 ヨウはこたえた。 「すべてを備えるわたしたち純粋なたましいは、不安になったり、心配したり、つらくなったり、ましてや傷つけるなんてことはできないけど。きっと、人として生まれれば、あなたに暴力をふるうことはとてもつらいだろうと想像します。けれど、あなたが望むなら、わたしはぜひ、あなたを手伝いたい。」 「ありがとうございます。それでは、わたしは、あなたが暴力をふるってくれるのを楽しみにしています。」 こうして、神様はインとヨウを地球に生まれることをてつだった。 生まれる直前、神様は言った。 「おっと、言い忘れていたが、インとヨウ、おまえたちの約束の記憶は、生まれるときに深く深くしまわれてしまうよ。おそらく、おまえたちは、二人の約束を忘れてしまう。じゃぁ、地球の旅を楽しんでおいで!」 インとヨウはいった。 「か、神様、そういうことはもっと早く言ってください。」 インは、いった。 「これは、ますます、楽しくなりそうだ。」 ヨウはいった。 「こりゃぁ、ますます、つらそうだ。」 そして、インとヨウは地球で二人の約束をぶじに果たし、また純粋なたましいに戻った。 インはいった。 「ヨウさん、本当にありがとうございました。とってもいい体験ができました。あんなにつらいたいけんを、わたしのために引き受けてくれてありがとう。」 「いや、いいんだよ。わたしもインさんの役にたててうれしいよ。あなたがゆるした瞬間の光の体験は、わたしにとっても美しい体験だったよ。ありがとう。」 寓話はここで終わっています。 たんなる真実の1側面です。 だからなんなの? ということでなく。 この瞬間だけでも、3次元からそれ以上へ飛び出してみましょうということです。 そうすれば、大いなる矛盾を 受け入れることができるということです。 さてさて、感謝道を走っているときのほうが、 人は、至福、幸福感にアクセスしやすくなります。 感謝道のほうが、舗装されているので、燃費も快適さも 向上します。 感情をこまかく分類すれば、まだまだ、羨望とか、後悔とかあります。 純粋な羨望は、直接的に感謝道の方向を知らせてくれます。 純粋な後悔は、通った道が不安道だったことを知らせてくれます。 だから、後悔なんてする必要ないよ! ではなく、 後悔を責める必要はないよ。ということです。 羨望が卑しいのではなく、羨望を抱いたとき 「自分には無理だ」と思うこころが卑しい。ということです。 最後に、「なんかしてもらうから感謝するもので、 なにもないのに感謝しろといわれても無理」 という疑問にこたえて終わりにします。 感謝は、喜び、楽しみを体験するための状態のことです。 ナビゲーションとしての感情ではありません。 感謝ということばが感謝をつくりだしていると同時に、 あなたのなかの感謝が感謝ということばをつくりだしています。 あなたのなかのどこかに感謝というなにかしらが存在しているから、 感謝ということばを認識できます。 同時に、感謝ということばがあるからこそ、 あなたは、自分のなかの感謝を明文化して引き出しやすくなります。 これがなにをしめしているかというと。 あなたが感じる感謝を意識的に引き出すことで喜びを体験し、 喜びを体験することで、ますますあなたは感謝を明確にすることができます。 「あぁ、感謝だなぁ」という瞬間が、だれにでも人生でいちどくらいあります。 もし、なかったとしても、想像する力が生命にはあります。 そして、その想像はすぐに創造をはじめます。 「感謝とはなにか?」を研究しているあいだに、 人生終わってしまうのも1つの人生ですが。 感謝研究で人生を終わらせる氣がないなら、 いま発揮できる最大の感謝をもって、生きることです。 そして、その結果得られた感情によって、 感謝を明確に増幅させていけばいいことです。 くりかえします。 あなたが喜びのなかにあろうと、怒りのなかにあろうと、 あなたの存在価値に影響をおよぼしません。 あなたは、意識していようといまいと、至福の存在であり、 つねに愛したいという欲求を生み出していることからのがれられません。 あなたには、感謝の道か、不安の道か、 どちらを通るか選択する権利があります。 感謝の道、不安の道がどの方向にあるのかは、 感情というナビゲーションが完ぺきに知らせてくれます。 ※おそらく、この文章を1回で理解できる人はごく少数だと思います。書いてるわたしも、すべてを理解できません。たいせつなことは、あなたが、この文章にどれくらいの重要性を見いだすかです。この文章にどれくらいの氣配をキャッチしているかです。もし、なにかしらの重要性をキャッチしたなら、あなたが必要とするだけ読み返してください。理解しようとすると、本文の効果は1/99になります。もし、本文に真実がかたられているとしたら、あなたは、なんども読むだけで、その表現者となるでしょう。著作権は放棄しませんが、転載、転用はすべて自由に行ってください。 本文は、人生を指摘したり、ゆたかに生きるメリットを示唆したり、おろかさ・気高さなどあらゆる事象を決定づけたり評価したりするものではありません。ましてや、生き方を指南するものでもありません。ただ、1つの洞察をここにしるします。

すべては、道を歩むあなたの選択しだいです。

2008年2月 6日 Kenji | | コメント(0) | トラックバック(0)






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